“アンティークまねきねこ”は、ヨーロッパのアンティーク・ジュエリーとドールの専門店です。
19世紀から20世紀にかけてのアンティークジュエリー、コスチュームアクセサリー、ビスクドール、テディベアなどが勢ぞろい♪ ☆素敵な出会いがありますように☆☆☆

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2019年1月
店長日記:1
2019年01月04日
皆さんお元気でしょうか?

いよいよ新年を無事に迎える事が出来ました。

朝起きて生きていたり、1日1日、1年と日々を無事に迎えられる事は奇跡です、とお話しされる和尚さんの言う通り、無事に生きている事は奇跡だと思いながら過ごしています。

突然の事故、病気などを経験されている方は身にしみる和尚さんのお言葉だと思います。

最後の平成の年明けで、4月30日までの新元号までの間に、自分の目標、願いをネーミングして過ごすと運気アップと、風水師のドクターコパさんが話されていましたので、店長は幸福元年と名付けて過ごしています。

皆さんも是非楽しんで自分の元号をつけてみて下さい。

ドクターコパさんは楽しく過ごせるようにと楽楽元年と呼んでいるそうです。

2019年は、まねきねこが法人化されたり、新たな古民家再生、アンティーク買い付けツアー第二回目、ウェブショップ全商品掲載、神戸店営業日増など、今年の目標、夢を実現出来るようにと新たな決意で過ごしています。

古民家は前回の店長日記でもお知らせしましたけど、3月末の引き渡し予定が前倒しになり、1月末からの運営となりました。

ですので、2月中に体験宿泊募集をする予定です。

そして3月以降には賃貸などに出す予定です。

ご希望の方はご遠慮無くお問い合わせ下さい。

こちらのサイトでも前回の洋館店隣の時のように写真などご案内致します。

神戸異人館街の真ん中、北野坂を上がった所から1分、朝ドラの舞台にもなった、公開異人館の萌の館、風見鶏の館からも徒歩2分の好立地で、築100年の古民家で古き良き時代を感じて、神戸の魅力を満喫して頂きたいと思います。
新幹線の新神戸駅、JR、阪神、阪急三宮駅も徒歩10分です。

アンティーク買い付けツアー第2回開催は、以前からご要望がありながら、タイミングが合わず、そして航空会社の値上げなど様々な要因で見送ってきましたが、今年にいよいよ開催出来るかもと言う段階まで来ました。

行けるとすればスケジュールはほぼ決まっていますので、こちらもご遠慮なくお問い合わせ下さい。

今回も定員10名の少人数のグループ旅行として皆さんとアンティークを満喫するロンドン旅行へ行きたいと思います。

今回は毎日のアンティーク三昧はもちろん、老舗デパート探索、劇場観覧、ロンドンの素敵な公園巡りなども加えて、素敵な思い出作りができればと考えています。

ホテルもポートベローから徒歩圏内の素敵なホテルへと変わり、様々なアクセスも良くなり、地下鉄、二階建てバス、ロンドンタクシーなども満喫して移動する予定です。
皆さんにオイスターカードをお渡しして乗りこなして頂きます。

そして10年ぶり以上になりますが、関空からのロンドン直行便が5月から復活するので東京経由で無く行ける事となります。

東京経由だと乗り継ぎ時間を合わせると16、7時間かかりますが12時間程で行けます。

何とか実現出来るように努力致します。

そして一番大変な全商品ウェブショップ掲載は1月から始動して頑張ります。

作業自体はとても楽しく、やり始めると、絵を描いたり、ピアノを弾いたりする時と同じで止まらなくなる程に熱中出来ます。

その為にも神戸店、洋館店の営業日を増やして作業します。

皆さんにも来て頂ける機会が増えますし。

店長が全て気に入って買い付けたアンティークなので、写真撮影からそれぞれの説明、時代、特徴、どんな方が当時使われて、どういう経緯でまねきねこへ来たのかなど、時空を超えたロマンが頭を駆け巡ります。

一つの小さなジュエリーから壮大なドラマが生まれます。

100年といえば今や1人の人生に近いですが、その当時では人生50年の時代ですので一代ではなく二代、三代と受け継がれています。

その時代背景、過ごしてきた様々なドラマを思い浮かべるだけで1冊の小説や映画を観たような気持ちになれます。

知り合いの演出家、脚本家の方が常々いうセリフですが、頭の中の想像力を膨らませて生きる。

これこそが人生を更に楽しく、充実させる事が出来る魔法だと思います。

想像力の世界が広ければ広いほどにどんな事でも深く考えられますし、自分だけの世界が広がり、つまらない暇がなくなります。

場所も要りませんしお金もかかりません。

どんな時でも自分の頭の中だけで楽しむ事が出来ます。

僕は小さい頃からその遊びをしていました。

嫌な事、辛い事があれば、すぐにその世界へと逃避して、現実世界へ戻る頃にはすっかり元気になってウキウキ出来ていました。

現実逃避とも言いますが、僕は妄想の世界とよんでいました。

ある時期には一日に数回もその世界へと行き、色々な物語を作っては自分が主人公となり、色々な体験をしました。

特に親が離婚したり、自殺騒動、家族がバラバラになり、家で1人キリになったりした子供時代にそれは形成されました。

ただその体験のお陰で、どんな問題、どんな事が起きても自分一人で立ち向かう強さや、どんな些細な事でも楽しめる人生観も育てる事が出来ましたので、どんな出来事でも意味があり、貴重な体験だと痛感しました。

今では全ての出来事に感謝して過ごせます。

様々な経験そして、死産でこの世に生まれて来た事もあるのか、子供の頃から死に対しても怖くありませんでした。

いつでも、全力で楽しく過ごすクセがついているので、いつどうなっても怖く無いというか、後悔しないと言う感じです。

ただ、あれもしたい、これもしたいなどの願望は沢山ありますが、死に対しての恐怖感、孤独感はありません。

誰かに看取ってもらいたい、お墓に入れて欲しいなどの思いもありません。

ただ痛い事は注射でも嫌なので痛く無ければ嬉しいですが。

江原啓之さんも本に書いてありますが、孤独死について、怖い事は何にも無いと話しています。

むしろ孤独死の方が、しがらみが無い分、天国へもすぐに行けると書いています。

未練や執着が無いので清らかに行けるとも書いています。

確かに1人だと心配事は多く無いですよね。

腐乱死体も痛みはもちろん無く、死んだ時点で魂は離れて痛みは無くなるそうです。

そこまで本で書いて言い切っていますが、素直に納得しました。

孤独を恐れるのではなく、孤独こそ孤高の楽しみ、人生を謳歌できると説いています。

僕は高校生の時に5人家族から突然1人になりました。

賑やかな家族から一転の事態でしたので、それは最初は辛かったですが、やはりそれを孤独だとは思わなくなりました。

年々そう思うようになっています。

今では一人でどこへでも行けますし、1人焼肉、1人温泉旅行、ロンドンももちろん1人で行けます。

1人を楽しく満喫出来れば人生を謳歌できると、美輪明宏さんも話しています。

依存しない生活ですね。

もちろん、人との関わりは大切ですし、友人、家族なども大事です。

人との出会いが無ければ僕はここにいません。

ただ、それらを失ったり、1人になっても孤独では無いという事ですね。

1人でも充分に人生は楽しめるという事です。

アンティークを見に来たり、買いに来られる方は1人で来られる方が多いです。

本当に1人で生きている方も知っていますが、自分の世界を持ち、楽しく生きておられます。

同じ趣味の方は少ない事もありますし、個性のあるものなので、違う趣味の方を連れてきても気を遣ってしまい楽しめないという事もありますが、そういう意味ではアンティーク好きの方は我が道を行ける方だと思います。

自分の楽しみ、自分の世界観をお持ちですね。

だからこそアンティークへのロマンを感じれるのだと思います。

素晴らしいですね。

子供の頃はアンティークの世界への入り口は無く、野球や美術、自然や生き物などに熱中していました。

そして苦しい時代を乗り越えて、大人になっても、それ以上の苦しい時代がありましたけど、それも同じように乗り込えてこれました。

そしてアンティークの世界への運命の出会い。

それを考えると今は本当に嬉しい日々を過ごせています。

これが一番大好き!と言える世界を見つける事が出来たのですから。

この世界へ導いてくれた出会った全ての皆さんに感謝です。

そして本当に皆さんのご愛顧のおかげですね。

いつでも、どんなに苦しい時でも、どうすれば楽しく過ごせるのか?そればかり考えていました。

ですのでお店作りでも、いつもどうすれば皆さんに喜んで頂けるのか?をいつも考えて29年過ごしてきました。

今年を終えればいよいよ30年です。

それだけ続けて来れた事は本当に奇跡です。

始めた頃には、それこそ想像も出来ない程の事だと思います。

それも法人になる事など想像も出来ません。

1日1日が必死で働いていましたので。

一番最初に始めた店、昭和初期の木造アパート1階の古着&アンティークリボンのお話しをこちらの日記でも書きましたけど、先日ようやく現地へ行く時間があり、立ち寄ると、建物はあるけど立ち退き状態となっていました…

様々な思い出が詰まったアパート。

店長が自分で白色にペンキを塗った外観はリフォームされて残って無かったですが、たまたま清掃に来ていた方とお会いして、お話しすると、リボンが入っていた部屋の住人の方でした。

それもリボンが出て行った時にその部屋を借りた人でしたので、偶然とはいえびっくりする出会いでした。

そこには今は住んではいなくて、最近引っ越されて、アパートの前を掃除に来られている時に僕が訪ねました。

リボンも、鳴尾駅前に移転したまねきねこも知っていて、お買い物もして頂いたそうです。

本当に嬉しい出会いでした。

その方もとても喜んで頂いて話しも弾みました。

そのアパート、清水文化の最後は、高齢の方の生活保護の方専用住宅へと変わったそうです。

それがここ最近、立ち退きで、誰かが出て行けば玄関に板を打ち込まれて誰も入れないようになっていき、その方が最後の住人となったと聞きました。

その方は年金暮らしでしたが、やはり高齢で一人だと借りるのも一苦労で、すぐ近くにアパートを見つけてやっと移り住めたそうです。

僕も引越しを20回以上も経験していますので、賃貸を借りる苦労はよく分かります。

保証人がいないと本当に中々貸してもらえません。

住みたい家が見つかっても審査で落ちて貸してもらえない時もあり、辛い気持ちになりました。

リボンが営業している時も隣の方は市の管理下の方が住んでいて、痴呆がひどくなり、施設へと引っ越される時に、リボンの裏口壊され空き巣&子猫5匹箪笥入れ、トランク盗難事件の犯人だったのが発覚した面白い話がありましたが、今の現状の走りだったと思います。

いつ取り壊しになるのかは分かりませんが、本当に良いタイミングで行けたと思います。

様々な思い出が詰まった場所。

写真が古着&アンティーク リボンがあったアパート 清水文化です。

そこがまねきねこの原点です。

清水文化のオーナーの清水さんがお店として貸してもらえなければお店は持てない時代でした。

当時はバブル期で、どこの貸店舗も家賃や保証金が高く資金の無い僕では無理でした。

たまたま不動産屋の方が骨董好きの清水さんと知り合いで、お店の相談をすると、そこのアパートなら店をさせてもらえるかも?と聞いて、貸してもらえました。

保証金15万円で家賃3万円でした。

当時は最低でも保証金100万円で家賃10万円程出さないと店舗は無い時代でした。

でも住宅街で、駅からは離れていて人通りもない場所でしたので果たしてお店ができるのか?という話しでもありましたけど、当時はとにかく自分の店を持てた喜びで、毎日楽しく作業していました。

平日は毎日アルバイトをしながら土日にフリーマーケットや骨董市へ出店する日々でした。

店をオープンする時は自分でチラシを作って、アルバイト仲間の金髪のメビメタバンドの後輩など、総勢10人ほどで鳴尾駅でチラシ配りも手伝ってくれました。

その子らはとても慣れていて、僕よりも早くさばいていてビックリしましたが、今考えてみれば、当時にしては珍しい金髪や派手なメイクの強面の彼らにチラシを渡されたら受け取らないと怖かったのかも知れませんね。

武庫川女子大が近かったので、女学生の子達にとにかく沢山配りました。

そして今では出来ない事ですが、武庫川女子大の陸橋などの壁にも沢山貼り付けたりして、みんなボランティアで良く手伝ってくれました。

それもバイトの休憩中に、仲間30人でカードゲーム、UNOをするのが流行っていて、その時に今度店を借りてオープンする事になったと話したら、何でも手伝いますよ!とみんなから率先して手伝ってくれました。

その頃から人には恵まれていましたね。

その彼らとはその当時からずっと会っていませんが、今はどんなになっているのか考えると楽しいですね。

ボーカルの子はラルクのhydeに少し似てて男前で、声も良かったので、続けてくれれば嬉しいです。

ドラムの子はとてもしっかりしていて16歳とは思えない苦労人でした。

6歳年下なので今は46歳ですね。

他の子らも全て名前は覚えています。

本当に良い仲間でした。

そうしてみんなに助けてもらってオープンした初日は、それはビックリするほどに沢山のお客さんが来てくれました。

玄関を上がって靴を脱がずに土足で入って下さい!と声をかけても女の子達は靴を脱いで夢中で古着を探してました。

当時は高価だった1960年から70年代の古着を一律500円から1000円で販売したので、口コミでも広がり、本当に沢山売れました。

大阪のアメリカ村や神戸元町ではその価格ではなかった時代です。

当時からどうすれば皆さんが喜んでくれるかを考えて、とにかく安く良いものを揃えて、毎日新たな商品が入荷するお店!を売りにしました。

毎朝毎晩古着や古い物を集めては店に出して並べるという、寝る暇を惜しんで休みなしの状態を2年続けて、鳴尾駅前の店が出た情報を得て、まねきねこと改名してこのアパートを去りました。

その2年間で今の土壌が出来ました。

本当に充実の時間でした。

そして今回、その頃を知る方とお会い出来た事は本当に嬉しい瞬間でした。

たまたま、偶然ではなく必然の出会いでした。

今は亡くなった、その頃のパートナーも本当に喜んでいると思います。

2人でとにかく一生懸命に頑張り、そして精一杯楽しんで過ごしました。

その原点の場所が無くなってしまうのは寂しいですが、最後に見る事が出来た事は幸せです。

行ってみたらもう無かった…と言う事もあると思いますので。

建物と場所、そしてお会い出来た方に御礼を行って別れました。

それから29年。

当時はここまで出来るとは想像も出来ませんでした。

それも西宮ではなく、今は神戸です。

堺市で育った僕にとって憧れの街は神戸でした。

洋館との出会いがあり、神戸へ住む事になり、洋館の坂の下の神戸店はリボンのアパートよりも安い25000円の家賃というのも凄い落ちのような話です。

その29年の歩みをひと時も忘れずに、お世話になった全ての方への感謝も忘れずにこれからも頑張って行きたいと思います。

それを考えると今は本当に恵まれていますし、どんなシンドイ事も辛くありません。

そして原点である、どうすれば皆さんに喜んで頂けるのか?を常に考えながら、皆さんと一緒に楽しく、これからも頑張って行きたいと思います。

これからもどうぞ、ジュエリー&ドールまねきねこをよろしくお願い致します。

そして皆さんにとって、2019年は本当に素晴らしい幸福元年となりますようにと心から願っています。

アンティークまねきねこキャッツのヤマトリーグ優勝!も目標に掲げる店長でした。



チームでは優勝、個人では投手で5勝、打っては首位打者、ホームラン5本を目指します。

去年はトータルで水曜リーグ10試合、ヤマトリーグ4試合、ハトチーム7試合、助っ人参加5試合の計26試合に参加しました。

そして首位打者、ホームラン3本、投手では2勝、盗塁は最多で30個でした。

足が絶対調で、高校時代50メートル5秒台の俊足が戻ってきました。

もちろん今ではそこまでは速く無いとは思いますが、盗塁失敗ゼロですので、高校時代と同じです。

20代のチームメートよりも走っています。

野球人生で盗塁失敗は中学3年の時の1回だけですので、このままその1回だけという記録を目標に行きたいと思います。

その唯一の失敗も監督のサインでの三塁盗塁失敗でしたので、自分から走って盗塁した失敗はゼロです。

当時、南海ホークスのプロテストを友達と受けて、足だけは合格しました。

年齢制限18歳から23歳までと書いてあるのに、どう見ても40、50代の方がテストを沢山受けて珍プレーを見せていたのは、今では考えられない面白い光景でした。

それを咎める人も誰もいませんでした。

何でも叩かれる今と違い良い時代ですね。


去年、急遽登板して投手としても強い相手に勝てた事で、店長はその喜びを忘れられずに、調子に乗って今年は多く投げるつもりです。

もちろん若い子で投げたい子がいれば優先して行かせますが、投手がいない日でも試合を組んで自分で投げるつもりです。

コントロールには絶対的な自信があるので試合は作れます。

そして去年から新しいボール規格になり、硬球のように変化球がかかり易くなった事も大きいですね。

得意のカーブ、シュート、チェンジアップが面白いように曲がります。

年齢的に昔のように速い速球は投げられ無いですが、テクニックで勝ちに行きます。

アンティークまねきねこキャッツは負けても笑顔のチームカラーなので勝負には勝ちには行きますが、負けても楽しく、と言う和気あいあいの仲良しチームです。

今年もメンバーのみんなと楽しく野球が出来れば嬉しいです。

アンティークに野球にと充実した2019年となりますように☆

それではまた。
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