1998年ころの話・・・
今朝のロンドンもとても寒い。
朝6時にホテルを出てあまりの寒さにコートの襟を立てる。
ロンドンやパリの俳優さんが襟を立てるのはお洒落だけでなく、
寒さ対策からきた偶然のお洒落なんだ・・・一人で納得しながらタクシーを探す。
タクシーが来て、ポートベローマーケットへ、と伝えて乗り込む。
土曜の朝はロンドンで一番規模が大きく有名な蚤の市から一日が始まる。
冬の朝なので街中は真っ暗で、黄色い街灯の明かりが昔の建物を照らし素敵な色に包まれている。
リージェントパークを通り抜けて、開店前のデパートなどを横切ると15分程で到着した。
早朝の暗闇の中まだ人は少ないが業者が早足でポートベローの坂を駆け抜けている。
僕はまず商品を探す前に、地下にあるイタリアンカフェの店に行き、朝ごはんを食べる。
あまり遅くなると人で一杯になるし、朝起きたらすぐにお腹がすいている事情もある。
ミルクたっぷりのホワイトコーヒーと、ベーコンエッグ&トーストを注文する。
パリではカフェオレで通用するが、ロンドンではホワイトコーヒーと言うといわゆるカフェオレが出てくる。
今日もいつものリズムで朝を迎えることが出来たので良い一日になりそうだ。
というのもポートベローは有名で観光化されているが、早朝はとても危険で強盗などが頻繁に出没する。
知り合いの業者も強盗に刺されたりして大怪我をしたことがあるので、緊張感を持って歩かないと危ない。
ロンドンに住んでいる人でもそんな目にあうのに、外国からやってきた人間ならなおさら気をつけないといけない。
そんな風に気を引き締めながらも、
熱々のトーストに挟まれた半熟の卵とベーコンにかぶりつくと卵がとろりと落ちてきて、甘い味に目が完全に覚めてくる。
さぁ、これから頑張ろう!
表に出ると馴染みのお店があるギャラリーに入る。
半分以上はまだ店主も来ていないが、六時半ぐらいから開けている業者もいる。
グッドモーニング!ほとんどが知り合いの業者なので挨拶の連発だ。
いつも大きなプードル・チャーリーを連れているイギリス人の男性が元気に挨拶をしてくる。
チャーリーは名前を呼ぶと真っ黒で大きい身体をぶつけてくる。
日本ではあまりスタンダードプードルは見ないので
最初は大きさにびっくりしたけど、もう五年ぐらいの付き合いになる。
この男性はどんな郊外のアンティークフェアーにもチャーリーを連れて行き、ほんとうに家族同然の存在だ。
日本ではなかなか制限があってできないけど・・
僕とも趣味があい、面白いものを揃えている。
今日は何があるかなと、ショーケースを覗き込む。
するととても綺麗な輝きをみせる、ローズカットのダイヤのリングが目に入る。
デザインはどうなっているのか見せてもらうと、なんと骸骨だ・・・
目にキラリとダイヤが入っているし頭の輪郭や、
サイドなどにもローズカットが輝いていて、リング部分にも細かい装飾がされている。
男性は1890年頃の物でとても珍しいと興奮気味に話してきた。
昨日田舎のオークションで買ってきたばかりだよ!
値段を聞くとそこそこの価格だが、珍しくて一目ぼれしたので頂いた。
でも骸骨は、好き嫌いがハッキリするだろうな・・・そう考えながらも朝一に珍しい物に出会えて嬉しくなる。
時計を見ると七時前だ。
七時前にはポートベローの坂の一番下あたりの奥ばった所にある、
ジュエリー専門店の婦人と待ち合わせている。
少ししか扱っていないが、ロンドンでは珍しい、オーストリア、ウイーンのジュエリーが買える貴重な存在だ。
チャーリーにバイバイとお別れをして夫人の店に向かう。
いつ来ても奥過ぎて1本筋を間違えたりするが、今日は迷わずに到着した。
いつも通りの甲高い声でグッドモーニングと挨拶をしてくる。
僕の顔を見ると、布に包まれているジュエリーケースを1つ1つ開けてくれる。
今日は良いものが入りましたか?
質問すると婦人は目を大きくして、ウイーンにいる娘が昨日戻ってきたのよ。
もうすぐしたら娘が良いものを持ってきてくれるわ。
娘さんがウイーンにいて、婦人もウイーン出身だから、
向こうにルートがありオーストリアのジュエリーが入りやすいことは知っていたが、娘さんとは会ったことがない。
待っている間も1つ1つ包みの中からジュエリーを出す。
そのスピードはとても遅く、黙って出せば少しは早くなるのにずっと喋りっ放しなのだ・・・
半分ほど出したところに、透き通るような青い目をした女性が横の通路から入ってきた。
オー、マイドーター!
婦人とは全然似ていないお人形のような目をした美人な娘さんだった。
初めまして、と挨拶をすると、私は時間がないからとにかくこれを渡すのでゆっくり見て下さいね、
と言いお母さんにホッペをあわすキスをして通路へと出て行った。
残念そうな僕の顔をみて婦人は、娘は若い頃の私にそっくりなのよーと笑顔で話す。
僕がおどけた表情をすると、今度若い頃の写真を見せるからとむきになっている。
そのジュエリーを早く見せて下さい!と言うと、オーソーリーと言いながらまたゆっくりと包みから出す。
すると見たことのない装飾をしたカメオが出てきた。
フレームがオーストリアンハンガリアン特有の細かい彫刻と、真っ赤なガーネットがグルリと埋め込んであり、
下にも大きな石がぶら下がっている・・・これはすごい!
カメオ自身はそこそこの彫刻だがとにかくフレームが凄い。
もう1つの包みをあけると、またカメオで、
今度は翡翠のような石がグルリと巻いてあり、下にはバロックパールが下がっている・・・これもすごい!
次の包みはなんと、オパールのカメオが真ん中で七色の輝きを放ちながら彫刻されていて、フレームもパールが巻いてありこんなのは見たこともない・・・
婦人のスローなペースでいつもはもっと早くとなるのに、
今日は初めてもう少し余韻を味あわせてと言いたくなるぐらい圧倒される。
もう1つの包みはなんとネックレスだが、
チェーンに全て彫刻とガーネットが入っていて、トップには天使や竜が彫刻されている・・・
真ん中にはカボッションの大きなガーネットが入っていてとても雰囲気があり、綺麗だ。
オーストリアンハンガリアンはルネッサンス様式(歴史主義的)で
昔の建造物の入り口や壁などにある彫刻などをそのままジュエリーに細工してあるような、アンティークらしさがあり、僕は大好きだ。
今度の包みからはこれまた綺麗な彫刻のリングが出てきた・・・
これだけの数を集めるには大変な時間がかかりそうなのに、
娘さんがウィーンから持ってきてくれてすぐに僕の目の前に集まっている。
そのあとも2点凄いのが出てきた。
全て一目惚れなので欲しいと伝え、価格もベタープライスでと頼んだ。
婦人はまた目を大きくして、あなただけに見せる為に娘に来させたのよ。
あなたは約束を守るし、次はいつくるかと伝えてきっちり来てくれるから
信頼してるし、好きなのよ・・・価格も無理なことは言わないわ。
だから今度写真を持ってくるからね・・・と意地悪そうに笑う。
娘さんならともかく、母親ほどの年齢の夫人には・・と言うと本気にしないでよ!と大笑いされた。
まとまったお金を払い、ウィーンのお宝をカバンに入れて、
今度は二月の1週目に来ますと伝えると、また娘に頼んでおくからねーとウインクしながら笑顔をくれた。
まだ朝だけど、早くホテルに帰ってウィーンのお宝を並べてじっくりと眺めたい・・・
こんな気持ちになるのは初めてだ。
やはり骸骨が幸運を運んでくれたのだろう・・・
外に出ると再び警戒しながらポートベローの坂を上って行く。
続く